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浦和地方裁判所 昭和61年(わ)1175号 判決 1998年1月12日

主文

1  被告人を懲役八年に処する。

2  未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

理由

【犯罪事実】

被告人は、

第一  自動車保険に加入していない埼玉建機株式会社が管理使用する普通貨物自動車(大宮一一せ四九五六)を運転中道路脇の松の木に衝突させて同車及び同車に積載されていたパワーショベル(いわゆるユンボ)を破損させたにもかかわらず、その修理代金等を捻出するため、富士火災海上保険株式会社の一般自動車保険に加入している伸菱自興株式会社が所有し被告人が管理使用する普通貨物自動車(大宮一一せ三七〇九)が右普通貨物自動車(大宮一一せ四九五六)に衝突し、同車及び右パワーショベルを破損させたもののように仮装して富士火災から自動車保険金名下に金員を騙取しようと企て、昭和五六年二月一九日、埼玉県北葛飾郡鷲宮町<地番略>所在の当時の被告人方において、富士火災の代理店である埼玉保険サービスの経営者高橋弘に対し、右普通貨物自動車(大宮一一せ四九五六)及び右パワーショベル破損の真実の原因を秘し、あたかも、関根良司が運転する自動車保険に加入している前記普通貨物自動車(大宮一一せ三七〇九)が、大栗保が運転する右普通貨物自動車(大宮一一せ四九五六)に衝突し、同車及び同車に積載されていた右パワーショベルを破損させたかのような虚偽の申し出をして自動車保険金請求手続の代行を依頼し、情を知らない右高橋をして、同月二三日ころ、富士火災関東営業本部大宮支店大宮サービスセンターにその旨の虚偽内容が記載されている被告人作成名義の自動車保険事故状況報告書及び被告人作成名義の保険金請求書等の関係書類を提出させて、自動車保険金の支払方を請求し、富士火災の保険金支払決定権者である同サービスセンター所長伊藤幸光をしてその旨誤信させ、よって、同人をして金一四九万七九六〇円の自動車保険金の支払を決定させた上、同年三月一七日、同サービスセンター出納担当者から、保険金名下に、同町中央二丁目一番二七号所在の埼玉銀行鷲宮支店に開設してある被告人の普通預金口座に金一四九万七九六〇円の振込送金を受け、もって、これを騙取し、

第二  埼玉日産モーター株式会社が所有し、自己が管理使用する普通乗用自動車(大宮五八た一五九三)が富士火災の自家用自動車総合保険に加入していることを奇貨として、新車購入資金等を捻出するため、同車が盗難にあって放火されたもののように仮装して富士火災から自動車保険金名下に金員を騙取しようと企て、昭和五八年九月二八日、埼玉県東松山市大字下唐子地内の都幾川河川敷において、同車に放火してこれを全焼させた上、同月二九日、同県北葛飾郡鷲宮町鷲宮<地番略>所在の当時の被告人方において、富士火災の代理店である埼玉保険サービスの経営者高橋弘に対し、真実は、前記のとおり、自ら故意に同車を全焼させたのにこれを秘し、あたかも、同車が何者かによって窃取された上焼燬された旨虚偽の申し出をして自動車保険金請求手続の代行を依頼し、情を知らない右高橋をして、同年一〇月二〇日ころ、富士火災首都第一損害査定部大宮サービスセンターにその旨の虚偽内容が記載されている被告人作成名義の自動車保険事故状況報告書及び被告人作成名義の自動車保険金請求書等の関係書類を提出させて、自動車保険金の支払方を請求し、同サービスセンター所長富田克彦及び同人から保険金支払承認申請を受けた富士火災の保険金支払決定権者である同社首都第一損害査定部部長中坪孝夫をしてその旨誤信させ、よって、右中坪をして金二五〇万円の自動車保険金の支払を決定させた上、同年一一月二日、同サービスセンター出納担当者から、保険金名下に、被告人の代理受領者である埼玉日産モーター株式会社が同県大宮市桜木町二丁目三一五番地所在の埼玉銀行大宮西支店に開設している当座預金口座に金二五〇万の振込送金を受け、もって、これを騙取し、

第三  土木工事等を営業目的とする有限会社Aの代表取締役として同社を経営していたところ、同社の従業員であるTが、昭和五九年九月二一日午前九時ころ、埼玉県久喜市大字下清久地内において、伸菱自興株式会社が所有し被告人が管理使用する自動車保険に加入していない普通貨物自動車(大宮一一た四四六号)を運転して盛土工事に従事中にその荷台等を破損させる事故を発生させたことから、同車の修理代金等を捻出するため、自動車保険金名下に金員を騙取しようと企て、右Tと共謀の上、同日午後七時ころ、右事故発生の事実を秘して、富士火災との間で、A名義で同車について自家用自動車保険契約を締結した上、同年一〇月四日、同県北葛飾郡鷲宮町<地番略>所在の当時の被告人方において、富士火災大宮支店営業一課直販社員鈴木芳江及びその補助者高橋弘に対し、あたかも、右保険加入後の同月三日に同町内のA管理の残土置場で右Tが前記車両を運転して作業中に同車の荷台等を破損させる事故を起こしたかのような虚偽の申し出をして自動車保険金請求手続の代行を依頼し、情を知らない右鈴木らをして、同年一〇月三一日ころ、富士火災首都第一損害査定部大宮サービスセンターにその旨の虚偽内容が記載されているA作成名義の自動車保険事故状況報告書及び同社作成名義の自動車保険金請求書等の関係書類を提出させて、自動車保険金の支払方を請求し、同サービスセンター所長内田八郎及び同人から保険金支払承認申請を受けた富士火災の保険金支払決定権者である同社首都第一損害査定部部長中坪孝夫をしてその旨誤信させ、よって、右中坪をして金二二六万七八〇〇円の自動車保険金の支払を決定させた上、同年一一月二七日、同サービスセンター出納担当者から、保険金名下に、同町中央二丁目一番二七号所在の埼玉銀行鷲宮支店に開設してあるAの普通預金口座に金二二六万七八〇〇円の振込送金を受け、もって、これを騙取し、

第四  昭和六一年二月二三日午後二時ころから同日午後六時ころまでの間、埼玉県北葛飾郡鷲宮町鷲宮<地番略>所在のA管理の残土置場内もしくはその周辺又は同町<地番略>所在の当時の被告人方において、長男甲野次郎に対し、同人の着衣の襟を含む、幅が狭くなく表面の余り粗でない布状の類の索状物で、同人の頚部を前頚部から左右側頚部にかけて強く圧迫する暴行を加えて窒息状態にし、同人をして意識消失等の意識障害に陥らせるとともに胃内容物を嘔吐させ、かつ意識消失等の意識障害に陥っていた同人をして吐物を気管から肺に吸引させ、よって、そのころ、右同所において、同人をして頚部圧迫及び吐物吸引あるいはその一方を直接原因として窒息死するに至らしめ、

第五  右第四の犯行の発覚を免れるため、右甲野次郎が交通事故によって死亡したように仮装しようと企て、前同日夜から同月二四日明け方ころまでの間に、同人の死体を同県北葛飾郡幸手町(現在は同県幸手市)大字長間四一七番地先残土捨場に運搬して遺棄した。

【証拠】<省略>

【法令の適用】

一  罰条

判示第一、第二の所為 平成七年法律第九一号による改正前の刑法(以下「旧刑法」という。)二四六条一項

判示第三の所為 旧刑法六〇条、二四六条一項

判示第四の所為 旧刑法二〇五条一項

判示第五の所為 旧刑法一九〇条

一  併合罪の処理 旧刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(最も重い判示第四の罪の刑に同法一四条の制限内で法定の加重)

一  未決算入 旧刑法二一条

一  訴訟費用 刑事訴訟法一八一条一項ただし書

【補足説明】

第一  争点の概要等

一  判示第四、第五の傷害致死及び死体遺棄事件の公訴事実の要旨は、次のとおりである。

「被告人は、昭和六一年二月二三日午後二時ころ、埼玉県北葛飾郡鷲宮町<地番略>の被告人方において、長男甲野次郎(当時一八歳)に対し、その背後から、その着用するジャンパーなどの両肩付近を両手で掴んで後上方に強く引張り、その頚部を圧迫する暴行を加え、よって同人に脳循環障害を生じさせ、そのころ、同所において、同人をして右脳循環障害により嘔吐した吐物を吸引させて窒息死するに至らしめ、更に、右犯行の発覚を免れるため、右甲野次郎が交通事故により死亡したように仮装しようと企て、同月二四日午前二時ころ、その死体を同県北葛飾郡幸手町大字長間四一七番地付近まで運搬してこれを同所付近道路脇に遺棄した。」

二  これに対して、被告人は、公判廷において、自分は右傷害致死及び死体遺棄の事実については何らの関与もしていないとしてこれを全面的に否認し、弁護人も、これを前提として、被告人は右各訴因につき無罪である旨強調するとともに、捜査段階において作成された被告人の上申書、被告人の捜査官に対する供述調書のうち、本件事件直後に作成された三通の供述調書、本件事件による逮捕後(ただし、被疑罪名は殺人及び死体遺棄)に録取された一通の供述調書(否認調書)を除く、その余のすべてについて任意性がないとしてその証拠能力を争い、また、本件被害者である甲野次郎(被告人の長男)の死因についても、自然死(内因死)であるとして、外因死を主張する検察官と鋭く対立している。このように本件については、当事者間に深刻な争いがあり、このため、その争点を巡って、数次の法医鑑定を含む詳細な証拠調べが重ねられてきたところであり、それとともに本件の審理も長期化し、公訴提起以来既に一〇年余を経過するに至ったものである。

三  ところで、当裁判所は、本件審理の過程において、弁護人が任意性を争って不同意にした被告人の上申書三通及び捜査官に対する供述調書一〇通のうち、傷害致死及び死体遺棄事実を自白したとされる上申書二通については任意性なしとして却下し、その余の上申書及び供述調書については任意性があるとして採用したのであるが、右採用した供述調書等は、死体遺棄を認める供述が一応記載されてはいるものの、荒唐無稽の供述も記載されているなどしていて、その証拠価値にかなり問題があり、これらを当初から事実認定の基礎にすることには躊躇を覚えざるを得ない上、弁護人は最終弁論においてもなお右供述調書及び上申書の任意性を強く争っていることから、まず、これらを除くその余の証拠によって、右傷害致死及び死体遺棄の訴因につき被告人の有罪を認め得るのかどうかについて検討を試みた。しかるところ、右証拠だけによっても、被告人が判示第四、第五に記載したとおりの内容の傷害致死及び死体遺棄の犯行に及んだことを優に認め得、被告人の有罪を結論できると確信できたので、当裁判所は、右供述調書及び上申書については、右のような問題の存することに鑑み、これを事実認定の用には一切供しないこととした。

四  以下、本件傷害致死及び死体遺棄の訴因につき被告人の有罪を認め得る理由を詳細に説明することとするが、それに先立ち、右証拠説明の順序につき一言しておく。

本件審理においては多数の証拠が取り調べられたが、その証拠構造の特徴を見ると、本件証拠中には、本件傷害致死事件と被告人との結び付きを直接証する証拠は存在せず、これを解明する重要な鍵は被告人が死体遺棄の犯行に及んだかどうかという事実が握っている。そして、仮に被告人が本件死体遺棄を犯したことが否定されるとすれば、本件証拠関係のもとでは、被告人に傷害致死罪が成立することはほとんど考えられないし、逆に、被告人が死体遺棄の犯行に及んだ事実が認められるとすれば、これは、被告人が右傷害致死の犯行に及んだ事実を強く推測させる極めて有力な情況証拠になるのである。そこで、このような特徴に鑑み、以下の証拠説明においては本件死体遺棄事件のそれから先に行うこととし、しかる後に、右の説明を前提として、更に傷害致死事件についての説明を行うこととした。

第二  本件死体遺棄事件について

一  次郎の死体の発見状況等とこれから推定される犯人像等

1 次郎は、昭和六一年二月二四日午前七時過ぎころ、埼玉県北葛飾郡幸手町(現在は同県幸手市)大字長間四一九番地先の県道(通称農免道路)とこれから分岐した町道と両道路の直下に通じる排水路によって区画された三角地状の残土捨場内で死亡しているのが発見された。次郎は、雪が所々残る右残土捨場内の枯草に覆われた地面上に、ジャンパーとジーパンを着用し、フルフェイス型のヘルメットを被り、両足が右町道の端にほぼ接するような形で仰向けに倒れていた。

また、死体のすぐ近くには、次郎がその前日(二月二三日)の昼過ぎころまで乗り回していたオートバイ(ホンダNS四〇〇R、登録番号<省略>、排気量四〇〇CC、車長約二〇二センチメートル、車高約一一二センチメートル、車幅約七二センチメートル、重量約一八〇キログラム)が、道路脇から転落したような形で横倒しになって遺留されていた。同オートバイは、右側カウリングに割れ穴があき、左右両側の方向指示器が取り付け部分から脱落し、クラッチレバーも前方に曲損するなど多数の損傷があった。

このような状況だけからすると、次郎が右オートバイを運転中に右現場で交通事故(単独自損事故)を起こし路外に転落して死亡したかのように見える。

2 ところが、一方、次郎の死体はフルフェイス型のヘルメットを留め具で固定して被っており、顔面はヘルメットで完全に覆われていたのに、次郎の唇及び前歯に少量の土砂が付着していた。また、次郎の半長靴の上にはガラス片一個がずり落ちずに乗ったままになっており、このことからして、次郎が同所に仰向けに横たわる状態になってから次郎が身体を動かしたことは全くなかったと思われるのに、次郎のオートバイ運転用の手袋の左手用が死体の大腿上(死体の右手の先)に、右手用が死体の左脇(死体の左手付近)に置かれていた。更に、死体の着衣には交通事故を窺わせるような乱れ、損傷はなく、死体にも交通事故を窺わせるような損傷はなかった。

また、本件オートバイはエンジンキーがオフの状態になっていた上、本件オートバイが交通事故で破損したのであれば、現場に破損部分に対応する破損物が遺留されていて然るべきであるのに、現場には、シグナルランプ一個、ガラス片二個(うち一個は、前記のとおり次郎の死体の着用していた半長靴の上に乗っていた。)、塗膜片様の物十数片があった程度で、破損した前輪のプラスチック製泥除けの前部に対応する破損物等は現場から発見されなかった。更に、オートバイの前後輪タイヤの接地面には泥がべっとり付着しており、本件オートバイが現場に横倒しになる直前走行状態になかったことを示していた。そして、交通事故が現実に発生したのであれば当然に残されているはずの事故の痕跡も道路面等に全く見当たらなかった。

3 ところで、後に行われた工学鑑定(林鑑定)の結果等によれば、後に改めて触れるとおり、本件オートバイの破損は、実際には交通事故による破損とは全く異なっており、また人力やツルハシ等による損壊工作程度で生じ得るものではなく、パワーショベル(ユンボ)のような大型の作業機械を用いてはじめて生じ得るものであることが判明している。

4 以上の事実及び現場には人と人とが闘争したような跡も見つかっていないことなどからすると、その偽装態様に稚拙な点はあるにせよ、何者かが、次郎が右現場で交通事故(単独自損事故)を起こして死亡したように見せかけるために、他所で死亡した次郎と他所で損壊した本件オートバイとを現場に運んで遺棄したものと認められる。

そして、本件オートバイは右のとおりひどく損壊されていて一見しただけでまともに運転できるような状態にあるとは到底思われない上に、遺棄現場の道路端には本件オートバイのタイヤ痕は残されていないことも考えると、犯人がこれを現場まで運転してきたことはもとより手で押してきたことも明らかに否定でき、このことと、更に、本件オートバイの前記車長、車高、車幅、重量等を考え併せると、犯人は右オートバイをトラックの類に乗せて運搬してきて(乗用車には乗せることはできまい。)、これを車上から現場に遺棄したものと認め得る。

また、次郎の死体についても、次郎が高校三年生で体重約七〇キログラム、身長約一七五センチメートルであることを考えれば、犯人がこれを背負うなどして運んできたのでなく、自動車で運んできた可能性が高く、特に死体の所在場所が遺棄現場からかなり離れていたとすれば、自動車で運んできたものと断じてよい(ちなみに、後述のA管理の残土置場や被告人方と遺棄現場とは一二キロメートル強離れており、警察車両による日中の計測であるが、車を使っても片道二五分位かかる。)。

犯人が次郎の死体及び本件オートバイを自動車で運んだ場合、両者を同時に運んだかどうかであるが、同じ現場に両者が遺棄されていた事実及び犯人心理、更には本件は交通事故死を偽装した死体遺棄事件であり、遺棄犯人は交通事故死に見せかけるために準備万端整えた上で遺棄の犯行に及んだと見るのが至当であることなどを考えれば、両者を同時に運んだ可能性は極めて高く、特に、死体と損壊したオートバイとが近接した場所にある一方、これらのあった場所と遺棄現場とがかなり離れていたとすると、犯人は特段の理由がなければ本件オートバイを乗せたトラックの類に次郎の死体もまた乗せて同時に運んだと見てよいと考えられるのである。

なお、犯人が次郎を運ぶ際に次郎が既に死亡していたことは、犯人が前記のような次郎が自損事故で死亡したかのような偽装工作を思い立ったこと自体から明らかであるというべきである。

5 本件遺棄現場は、田園地帯にあって、付近道路の通行量はさほど多くはないにしてもそれなりの交通量はある上(甲156添付の写真参照)、見通しも極めて良く、暗くなる前に遺棄行為に及べばたまたま付近を通りかかった車両等にその姿、行動等を目撃される危険のある場所であることなどからすると、犯人心理からして、暗くなる前にそのような行為に及ぶことは極めて考えにくい事態である上に、死体等は道路のすぐ脇という暗くなる前であれば通行車両等によって発見され易い場所にあったのに、二三日中に発見の通報はなく、二四日の早朝になって登校途中の小学生らによって発見通報されていることなどに照らせば、犯人が右行為に及んだ時刻は二三日の暗くなって以降(なお、東京天文台編昭和六一年暦象年表によると同日の東京の日の入りは午後五時三〇分である。)、翌日の明け方ころまでの間(なお、前同年表によると、二四日の東京の日の出は午前六時一八分である。)であると十分推認し得る(なお、後述するとおり、被告人は二三日午後四時過ぎころから午後七時ころまでは自宅ないし自宅付近にいたことが確認されており、また同日午後一〇時半ころから午後一一時ころまで自宅の斜め前にあるスナック「M」にいたことが確認されている。したがって、被告人が本件死体遺棄の犯行に及んだのであれば、それは同日午後七時ころ以降翌日の明け方ころまでの間の、右「M」にいた間を除く時間帯においてであるということになる。)。

6 以上に見たように、(被告人が本件犯人であるかどうかは別として)本件犯人は、次郎の本件オートバイを大型の作業機械で壊し次郎の死体にヘルメットをかぶせるなどしてこれらを遺棄現場まで運ぶという手間をわざわざかけ、しかも検挙の危険を冒して、次郎の死体遺棄という犯罪行為に及んでいるのである。そして、本件犯人がこのように手間と危険を顧みず次郎の死体遺棄という通常心理的に極めて強い抵抗感が伴うと考えられる犯罪に及んだからには、本件犯人には、これによりそれに見合うだけの見返りがあるとの期待・思惑があり、かつ、その反対動機を乗り越えるに足る強い必要性もあって、これに及んだものと考えられる。

ところで、次郎は死体発見の前日まで元気にオートバイを乗り回していたのであるが、このような次郎がそれから一日を経ない内に急死しかつ無惨な遺棄死体となって発見されたこと自体からして、次郎が自然死(内因死)したのでなく、犯罪に巻き込まれて死亡した可能性が極めて高いと認められる。そして、次郎の死体の遺棄犯人が前述のとおり大変な手間をかけかつ検挙される危険を顧みずに敢えて交通事故を偽装しつつ死体遺棄という抵抗感の強い悪質な犯罪行為に及んでいることからすれば、次郎の死に関わっていない第三者がかかる遺棄行為に及んだとは通常考え難く、次郎を死亡させ、その嫌疑で逮捕、勾留され、最後には刑罰を受けることを自覚する者こそが右遺棄行為に及んだ可能性が極めて高いと認められる。また、右遺棄犯人が次郎と面識もないような者あるいは交際が多少ある程度の者であったとした場合、次郎の死体を遺棄するにしても前記のような手の込んだ工作に手間をかけ交通事故に見せ掛けて朝になればすぐに発見される場所にこれ見よがしに遺棄する理由必要はほとんど想定できないから、このような者が次郎を遺棄した可能性は低いと考えられる。

このように、本件遺棄犯人は、その行為そのものから観察して、次郎を故意又は過失により死に至らせた可能性が極めて高いのはもちろん、次郎を死に至らせた嫌疑を免れ、あるいは、それとともに更に別の利益(手の込んだ工作をして交通事故を偽装していることからすれば、保険金の詐取がまず想定されよう。)、満足を得るために、本件遺棄の犯行に及んだ可能性も極めて高く、更に、右遺棄犯人は次郎と生前ある程度以上の交際があった可能性も高いということができるのである。

二  次郎の二月二三日の行動等及び被告人の言動等

1 次郎は、本件当時、埼玉県北葛飾郡鷲宮町<地番略>所在の被告人方居宅(二階建てで、その一階部分の一部が被告人経営にかかるAの事務所となっていた。)において、被告人と二人で暮らしていた。同人は、二月二三日午前一一時ころ、被告人方前路上で被告人と立ち話をしているのを近所の者に目撃されており、同日正午前ころには本件オートバイに乗って近くのガソリンスタンドを一人で訪れて給油し、満タンにして走り去ったが、その後死体となって発見されるまでの間の同人の行動等を証する直接証拠は存しない。しかし、遺棄発見時の右オートバイのガソリンは右給油時より三・五リットル程度減っており、右オートバイのいわゆる燃費(一リットル当たりの走行距離は約二九キロメートル程度)に基づいて算出される走行距離が約一〇〇キロメートル位であること、この距離を走行するのに少なくとも二時間位は必要と考えられること(なお、前記4の警察車両による計測結果参照)、次郎と本件オートバイが交通事故を偽装して捨てられていたという本件遺棄形態や本件オートバイは鷲宮町辺りではめったに見かけない車種で人目につき易かったことからして次郎死亡後本件遺棄犯人等が本件オートバイを運転してあちこち乗り回したとはほとんど考えられないことなどを併せると、同人は少なくとも午後二時ころまで(給油後二時間程度)は生存していた可能性が高い。そして、被告人の知人である岸文男が同日午後六時ころ被告人方を訪れたときには本件オートバイは付近に見当たらず、また次郎の友人が同日午後一一時過ぎころ被告人方近くを通った際にも、右オートバイの姿はなかった。

2 一方、被告人は、右のとおり次郎と路上で立ち話をした後、同日午後一時半ころ、Aが仕事場として使用している鷲宮町大字内穴辺二〇二四番地所在の残土置場(被告人方からの距離は六〇〇メートル強程度である。)に自転車で出掛け、同所でしばらく作業をした後、午後五時ころ徒歩で自宅に戻った(ところ、岸に会った)旨述べているところ、同日午後四時過ぎころ被告人が右残土置場の近くにある大橋病院付近に佇んでいるところを知人に目撃されており、また同日午後五時前ころ新宿橋付近を右残土置場方向から被告人方方向に向かって歩いてくるところを別の知人に目撃されており、更に同日午後六時ころ帰宅したところを被告人方を丁度そのころ訪れた前記岸文男に目撃されている。そして、被告人は、公判廷においては、自宅に戻ってから次郎が死体で発見されるまでの間の自分の行動について、自宅の斜め前にあるスナック「M」に飲みに行ったほかは自宅から出ていない旨一貫して供述している。

3 被告人は、同日午後六時ころから、右のとおり被告人方を訪れた岸と、被告人方で、一時間ほど話し込んでいたが、岸の第八回公判証言によると、その際、被告人は、同人に対して、「息子はいつも帰りが遅い。今日もまだ帰ってこない。」「(息子は)春日部の方に行くので、農免道路を(オートバイで)飛ばしているので心配だ。」「オートバイが自分で転んで事故を起こしたときライトはついているのかな、消えているのかな。」「事故をやってもうちは金もないし、女房も出て行っちゃったし、うちは困るんだ。」「死んじゃったら霊柩車高いのかい。死んだところから霊柩車で運ぶのかい。救急車で運ぶのかい。」「バイクで自爆事故を起こしたら保険下りるのかな。」などと次郎が交通事故を起こして死ぬこと(あるいは既に死んだこと)を予期しているかのような話をするとともに、しきりに葬式代のことを気にして岸にあれこれと問いただすなどしていたことが認められる。そして、被告人自身も、このとき、岸に対して、「息子は農道をバイクで乗り回していてたんぼの中に落ちたら分かるだろうか。」「息子が事故を起こして死んだら困る。」などと話したり、葬式の話もしたことを自認している(乙33)。

その後、被告人は、同日午後一〇時半ころ前記「M」を訪れ、同店で三〇分ほど飲んだりした後同店を出ているが、その間、次郎の帰りが遅いとしきりに心配していた(森茂子の第八回公判証言)。

4 被告人の仕事仲間である白沢広介は、二三日午後三時ころから午後一〇時ころにかけて仕事の確認のために五、六回被告人方に電話を掛けたが誰も出なかったため、翌二四日の午前七時過ぎころ再び被告人方に電話を掛け、電話に出た被告人に「ゆうべはどうした。」などと聞いたところ、被告人は、「昨日は葬式があってね。」などと真実に反するしかも極めて奇異な返事をしていた。

その後、午前七時半ころ出勤してきたA従業員の佐藤隆志が、被告人方一階の同社事務所にいた被告人と顔を合わせた後、仕事に出かけようとすると、被告人は何度も同人を引留めるとともに、「息子が昨日から帰らない。事故にでも遭ったのかな。」などと同人に話しかけ、午前八時半ころ幸手警察署から電話が掛かり、これを受けた佐藤がそのまま被告人に取り次ぐと、被告人は電話で話をした後、佐藤に対して、「息子が事故で死んだ。」などと言って、涙を流さずに声だけ上げて泣いたりしていたが、その後まもなくいつも自宅前に駐車させている被告人保有のセドリックを佐藤に運転させこれに同乗して(被告人は四輪車を運転できるが運転免許はない。)隣町の幸手警察署まで赴いて死体の確認をしたり事情聴取を受けたりした。

5 被告人は、本件の二週間ほど後である三月六日に、被告人方や本件残土置場等について実施された実況見分に立ち会い、これらの場所から採取された証拠物の確認などをした後、幸手警察署で事情聴取を受けたが、その際には、「当日午後一時ころ自宅を出て残土置場に出掛けた際には、次郎は二階のベッドで寝ながらテレビを見ていたので、次郎が何時ころ家を出たのか分からないし、当日は次郎と顔を合わせて話をしたことはない。」などと、前記二の1の事実に反する虚偽の弁解をし、当日の次郎の行動については何も知らないことをひたすら強調するような態度に終始していた。また、被告人は、当日の残土置場内での行動についても「当日午後二時から三時ころにかけて残土置場でユンボを使って作業をしていたところ、近所に住む田口(金次郎)さんが自分のところに来たので少し話をした。」などと弁解していたが、後に、田口金次郎に対する事情聴取により、右弁解もまた虚偽であることが判明した。

6 なお、ここで、被告人の岸に対する極めて特異な前記発言内容等に関連して、次郎の死亡時期について検討しておくことにする。

被告人は、岸に対して、前記のとおり、次郎が交通事故死することを露骨に予言するような発言をなし死亡保険金や葬儀代の話までしているのであるが、その翌朝には、次郎が、岸に話した内容(夜間オートバイで農免道路を走行中に単独自損事故を引き起こし道路から転落して死亡するというもの)と極めて良く似た形態の交通事故を偽装されて死体となって発見されているのである。しかも、被告人は、岸に右のような特異な発言をしたばかりでなく、翌朝には白沢に対して、前記のとおり「昨日は葬式があってね。」との虚偽かつ奇妙な発言もし(しかし、被告人が次郎の死体を遺棄したものであるとすれば、白沢に対する右発言は、当時の自己の心情を思わず吐露したものとして何らの矛盾もなく説明できるのである。)、更に佐藤が出勤してきた後は次郎に関係することで警察から電話連絡のあることを予知していたと思わせるような言動をなしているのであって、これらの事実は、本件死体遺棄の犯人が被告人であって、かつ被告人が岸に対して前記の話をした時点において既に次郎の死体を交通事故を偽装して遺棄することを計画していたことを示す極めて有力な情況証拠であることはもちろんであるが、それとともに、これらの事実からは、右時点において次郎は未だ生存しており被告人はその殺害を計画していたか、既に次郎は死亡しており被告人はそのことを知っていたかのいずれかであることも推知できるのである。そこで、ここでは、右に示したうちの後者の点について、更にそのいずれであるかを考察しておくと、後述のように被告人と次郎は親子喧嘩もしその仲はあまり良いものでなかったとはいえ、その一方で親子の情愛が通っていなかったわけではなく(二三日午前一一時ころ被告人方前路上で被告人と次郎とが立ち話をしているのを目撃した近所の者は、「親子というのはいいものだなと思いながら二人の様子を見ていた。」旨述べている。また、次郎が三か月前に後記自損事故を起こしたときには、被告人は次郎の怪我が治るまで毎日学校に車で送り迎えしてやるなど、息子思いの父親ぶりを発揮していることは後述のとおり。)、また被告人は能力の高い次郎が立派に成長することを大いに期待していた様子も窺われるのであって、次郎に生命保険等を掛けていたとはいえ次郎を殺害して交通事故死を偽装するという計画殺人まで予め思い立つとはにわかには考えにくい上、仮に被告人と岸が話をしていた時点で次郎が生存していたとすると次郎がオートバイで残土置場に立ち寄った(次郎がオートバイで残土置場に立ち寄ったはずであることは後述するとおりである。)のは午後七時ころ以降であるということになろうが、しかし、そのような夜間に次郎が残土置場に立ち寄る理由が全く考えつかないこと、午後六時ころというのは次郎の日ごろの生活状況からして次郎が帰宅しなくとも何の不思議もない時間帯であるが、それにもかかわらず、被告人は次郎の帰りを心配するような発言をしているのであって、このような発言は、未だ生存している次郎がこれから帰って来ると思っていた者の発言というよりは次郎が既に死亡していて絶対に帰って来ないことを知っていた者の発言と見る方が自然であって、岸に対する被告人の発言が事故現場からの遺体運搬の方法、葬式代といった通常は死が現実のものとなってから考えるような事柄にまで及んでいる事実はこの見方を支持するものであることを考慮すると、被告人が岸に前記の話をした時点で、次郎が生存していてその殺害計画を被告人が立てていたのではなく、次郎が既に死亡していて被告人がそのことを知っていたものであると推認できるのである(なお、上記認定においては考慮しなかったが、次郎の死体状況も右事実を推測させるものである。すなわち、後述のとおり次郎は絞頚により死亡したのである。ところが、珍しいことに次郎の死体には目に付くような絞め跡も争った跡もなく(死体発見直後になされた死体の実況見分に立ち会った医師も絞頚があったことに気付いていない。)、自損事故死に見せかけるのに支障のない死体状況であったのである(次郎の死体に目に付く締め跡等があれば、交通事故就中自損事故を装うことは困難であろう。)。次郎は大柄で柔道の心得もある一八歳の男子であって、このような死体状況は意図して作出できるものでなく、同人の死体の状況がこのようなものになったのは極めて偶然の結果であることは明らかであり、にもかかわらず、被告人が岸に対して次郎の自損事故死を話していたのは、この時点で既に被告人が次郎の死体を見ていることを思わせるのである。しかし、この点を考慮に入れずとも前記推認は十分可能であるので、論述の都合上これを右推認の間接事実として用いることは一切しなかった。)。

三  本件前の被告人及び次郎の生活状況等

1 被告人は、昭和四二年に乙川花子と結婚して長男次郎(昭和四二年六月九日生)及び長女春子(昭和四四年六月二六日生)をもうけ、昭和五七年九月ころから埼玉県北葛飾郡鷲宮町<地番略>所在の当時の被告人方において妻子と生活していたが、被告人は性格的に短気で喜怒哀楽が激しく、夫婦喧嘩をしては花子に暴力を振るい、同女が家を飛び出すことも度々で、夫婦仲は円満とはいえなかった。

2 被告人は、昭和五六年六月に土木工事、家屋の解体工事等を営業目的とする有限会社Aを設立してその代表取締役になり、被告人方一階の一部をその事務所とし、そこから一〇〇メートル位の距離にある同町鷲宮<地番略>の土地を同社の駐車場とし、また本件残土置場を同社の仕事場として管理使用していた。しかし、Aの経営は当初は比較的順調だったものの、昭和六〇年春ころから苦境に立つようになり、それとともに被告人は、会社の事務を手伝っていた花子に苦情を言われたりして、同女と激しい喧嘩をするようになって、夫婦仲も益々悪くなった。そうするうちに、昭和六一年二月九日ころに至って、被告人が自宅で灯油入りのポリタンクを持ち出した上、秋田にある被告人の実家に電話を掛け、「(花子に)灯油をかけて家ごと燃やしてやる。俺も死ぬ。」などと言ったため、これを聞き付けた花子は恐ろしくなって春子とともに家を飛び出し、花子の実家である乙川太郎方などに身を隠してしまい、そのため、被告人はそれ以来本件時に至るまで次郎と二人で前記被告人方において生活していた。

3 一方、次郎は、地元の中学校を卒業して県立高校に進学したが、三年生になってからオートバイに強い興味を持つようになり、昭和六〇年一〇月ころ被告人に対してオートバイを購入したいのでその保証人になってほしい旨頼み、オートバイ購入に反対する被告人と親子喧嘩をしたりしたものの、結局、被告人が折れたため、まもなく本件オートバイをローンで購入した。その後同年一一月ころ、次郎は自損事故を起こして右オートバイを大破させたが、そのときは被告人はその修理代金を負担してやるとともに、怪我をした次郎を毎日学校へ送り迎えしてやった。被告人は、かねて次郎に対して、高校卒業後、家業を手伝ってほしい旨言っていたが、次郎はこれに余り乗り気ではなく、また父親である被告人に対して反抗的な態度を取ったりすることもあったため、親子の仲はあまり良いものではなく、次郎の友人らの中には次郎から被告人と喧嘩をして殴られたなどという話を聞いた者もいた。また、次郎が、花子らの家出後である昭和六一年二月中旬ころに前記乙川太郎方に遊びに行った際には、同人に対して、「(被告人に)襟締めで絞め殺されるところだった。」「苦しくてしょうがないからアッパーをくれたら向こうも放しちゃった。」などと話していた。

四  本件残土置場等から発見された各種証拠物の存在及びその内容等について

1 本件オートバイの破損状況等

<1> 次郎は、本件オートバイを購入後、これをよく乗り回していたところ、その間の昭和六〇年一一月には自損事故でこれを大破させたが、若干の傷を除いてはほぼ全面的に修理を完了しており、本件当時の右オートバイには一見しただけで分かるような大きな損傷等はなかった。

<2> 本件遺棄現場において発見押収された本件オートバイは、その風防やプラスチック製の前輪泥よけ部分、右側カウリング部分等がひどく破損し、左右の方向指示器も脱落するなど、一見すると交通事故で大破したかのような外見を呈していたが、その中には作業機械を用いて打ち抜いたような損傷も見られた。公判段階になって、右損傷を生成させた機器につき、林洋を鑑定人として鑑定を実施したところ、右損傷は人力やツルハシ等では到底形成できるようなものではなく、また交通事故による損傷とも明らかに異なっており、パワーショベル(ユンボ)のバケットの爪のようなもので叩くというような方法により初めて形成し得るものであることが判明した(甲315及び林洋の第六一回公判証言)。

2 被告人が管理するトラックの状況等

<1> 被告人は、本件当時、Aの仕事に使うために三菱キャンター(二トン車)、日野レンジャー(四トン車、木屑専用運搬車)、三菱フソウ(四トン車、木屑専用運搬車)及び三菱フソウ(四トン車、ユニック車-ユンボ等の重機を運搬するのに使用される車両)の四台のトラックを保有管理し、これを本件駐車場に置いていたが、二月二五日の捜査時点(幸手警察署は次郎の死体の発見された二月二四日から被疑者不詳の死体遺棄被疑事件として捜査を開始している。)においても、右四台は右駐車場に停められており、このうちキャンターだけは駐車位置に頭から突っ込むような形で停められており、他の三台のトラックは逆に車両後部から進入した形で停められていた。そして、キャンター以外の三台のトラックは、残雪上の痕跡の有無等からして、最近使用された様子は認められなかった。キャンターの荷台にはベニヤ板三枚が積載され、荷台は土等で汚れていた。

<2> その後、幸手警察署は、同年三月六日に本件キャンター等について実況見分を実施したところ、右キャンターの荷台上から塗膜様片やプラスチック破片が発見され、また荷台にあった三枚のベニヤ板のうち二枚に塗膜様の物が付着していたため、これら塗膜様片、プラスチック破片、ベニヤ板を押収して鑑定した結果、右プラスチック破片は対象資料とされた本件オートバイの破損したカウリングの破面と合致するものであることが判明し、また右ベニヤ板付着の塗膜様の物は本件オートバイのカウリングのステッカーと同種のものであることが判明した。

<3> 次に本件キャンターの当時の使用状況についてであるが、本件当時のAのただ一人の従業員兼運転手だった証人佐藤隆志は、「当時自分が本件キャンターを使用することはめったになかったが、二月二二日にキャンターを運転した後本件駐車場に車をバックで入れておいた。その際荷台はきれいに掃除して何も置いてなかったし、ベニヤ板もなかった。シートは丸めて車の屋根に置いた。そのキーは事務所内の壁に掛けておいた。二四日朝に会社に行ったところ、被告人がおり、まもなく次郎が死んだという電話連絡を警察から受けたため、被告人とともに幸手警察署に行ったりしたが、その日の夕方に被告人の指示で葬儀に使うテーブルを乙川太郎方にキャンターで取りに行こうとした際に、そのキーが見当たらないので被告人に聞いたら、キャンターのポケットにあると言っていた。またキャンターに乗ろうとして、いつのまにか車の駐車方向が逆になっていることに気がついた。」旨述べており、被告人も三月六日に幸手警察署で事情聴取を受けた際には、自分がキャンターのキーを管理していること(したがって他人がこれを勝手に使うことはできないこと)を認める一方で、「キャンターはバッテリーがあがってしまったので今年の二月五日ころから使っていない。」などと虚偽の弁解をし、また「キャンターから次郎のオートバイの破片と思われるプラスチック片が出てきたことは自分も見ており、だから(犯人は)このキャンターを使ってオートバイを運んだんじゃないかと思う。」などと相矛盾するような供述をしていた(乙31、乙32)。

3 本件残土置場の状況等

<1> 本件残土置場は、Aの経営者である被告人が、同社の仕事場として独占的排他的に管理使用していたものであって、二方が非舗装の農道に残りの二方が田に接し、四方とも一・七メートルないし二・四メートル位の高さのトタン様の塀が張り巡らされており(ただし、田に接する二方のうちの一方には塀が破れているところが一か所あるが、その内側には残土が堆く積まれている。)、また二か所ある出入口のうち、人の通用口は外から南京錠で、車両出入口は内側から閂でそれぞれ施錠されており、南京錠の鍵は、被告人がAの事務所内において前記四台のトラックのそれぞれのキーと一緒にして保管しているため、第三者が被告人に無断で本件残土置場に立ち入って車を出入りさせたりすることは、全く不可能とはいえないものの、通常は考えられない状態になっている。そして、被告人は、二月二三日午後に本件残土置場に行って作業をした後、出入口は施錠して帰宅した旨明言しており(乙33等)、かつ、二月二五日の捜査時点でも、二か所の出入口とも施錠され、第三者の侵入を思わせるような形跡は存在しなかった。

<2> 幸手警察署は、昭和六一年三月六日に本件残土置場の捜索差押も実施したが、その結果同所で多数のプラスチック片を発見押収し、これを鑑定した結果、打ち抜き片様の物を含む多くのプラスチック片が本件オートバイの前輪泥よけ部分及びカウリング部分の破面と一致することが判明した。そして、被告人も、右捜索差押に立ち会って、発見されたプラスチック片が本件オートバイの破損部分と一致していることを確認するとともに、同日幸手警察署で事情聴取を受けた際には、「(ぴたっと一致したのは)不思議だ。誰かが残土置場で本件オートバイを壊したに違いない。」「残土置場は鍵が掛けてあるから他人は入れない。」などと被告人自身が本件オートバイを損壊したことを認めるに等しいような供述をしていた(乙33)。

被告人は、公判廷では、これらのプラスチック片が本件オートバイの破損面と一致すること自体はこれを概ね認めながらも、「自分は(右の捜索差押の少し前に)本件残土置場をきれに掃除して、燃えるものは皆燃やしてしまったから、あのようなプラスチック片が残っているはずがない。それが出て来たということは、誰かが自分を陥れるために持ち込んだとしか考えられない。」などと、あたかも警察官がこれらのプラスチック片を持ち込んだといわんばかりの極めて不自然な弁解をしている。しかしながら、これらのプラスチック片が残土置場から発見されたのは捜査の初期段階であって、警察官が当時被告人を陥れるために証拠の捏造をしなければならないような必要があったこと自体考えられないし、警察官がこれらのプラスチック片を用意したものでないことは、死体発見の日に行われた遺棄現場やオートバイの状況についての見分結果(甲156、甲158)等に照らして全く明白であるから、被告人の右弁解はもとより何らの根拠も有しないものである。

<3> また、本件残土置場には、被告人が当時残土等の処理のために使用していたパワーショベル(ユンボ)が置かれていたところ(二月二五日の捜査時点でも、これが残土置場にあったことが確認されている。)、前記打ち抜き片様の物を含む本件オートバイのカウリング等の破片であることが確認されている打ち抜き片を含む多くのプラスチック片の存在、及び、本件オートバイの損傷は人力等では形成し得ず、パワーショベル(ユンボ)のバケットの爪のようなもので叩くというような方法により初めて形成し得るとする前記林鑑定、他にオートバイの損壊に適するような作業機械は残土置場には存在しないこと等を総合すると、本件オートバイは右パワーショベルによって損壊された(また、打ち抜き片様の物は右パワーショベルのバケットの爪によって打ち抜かれた)と見て差し支えない。

なお、弁護人は、林鑑定人が行った実験(本件パワーショベルに取り付けてあったのと同一型式のバケットを取り付けた本件パワーショベルと同一クラスの実験用パワーショベルで本件オートバイと同一型式の実験用オートバイを損壊する実験)では、実験用オートバイのカウリングにバケットの三連の爪に対応する損傷が生じたのに、本件オートバイには打ち抜き損傷一個と表面に圧痕のある損傷一個があるものの他にバケットの爪が当たったと思わせるような損傷がないこと、本件オートバイのカウリングにある打ち抜き損傷の長さが林鑑定人の行った損壊実験の際に実験用オートバイに生じた打ち抜き損傷のそれに比べて短いことなどを根拠として、本件オートバイは本件残土置場に置かれていた本件パワーショベルで損壊されたものではないと主張するが、本件犯人が右実験と同じようなやり方(三本の爪ともオートバイのカウリングに当たるようにバケットを位置させ、一度だけこのバケットをカウリング上に落下させる。)で本件オートバイを損壊したのかどうか不明であること、打ち抜き損傷の長さがどの位になるかは気温(カウリングの温度)を含む諸般の条件に左右されるものであることなどを考えれば、前記差異は何ら異とするに足りず、弁護人の主張は採用し難い。

そして、右事実及び右パワーショベル(ユンボ)にはエンジンキーがいつも付けられたままであったことからすると、本件遺棄犯人は、パワーショベル(ユンボ)を操縦できる技術を持つ者で、かつ本件残土置場にパワーショベル(ユンボ)があること及びこれがいつでも操縦できる状態にあることを知っている者であると見てよい。

なお、付言すると、右パワーショベルを使用すれば本件オートバイをトラックに積み込むことは一人でも可能であることはいうまでもない(もっとも、パワーショベルを使う方法でなくとも、堅固で、相当長尺かつ幅広の板を用い地面と荷台をつなぐスロープを作り、このスロープを押し上げるという方法により、一人で本件オートバイをトラックに積み込むことは可能であるが、そのような板が本件残土置場にあったかどうかは不明である。)。

五  警察から事情聴取を受けて以降の被告人の不審な言動等

1 次郎の死因についての被告人の供述の変遷等

前記のとおり、被告人は、次郎の死体が発見されるまでは、同人が交通事故で死亡すること(あるいは死亡したこと)を強調するような発言をしていたが、警察が、死体及び遺棄現場の状況等からして次郎の死因が交通事故ではなく他殺の疑いが極めて強いと疑っており、更に当時の状況等からして自己にその濃厚な容疑が掛けられつつあることを察知するや、右の発言を事実上撤回し、次々と虚偽の弁解を弄したり、後記のとおり、正体不明の者が次郎を殺害した旨の虚偽虚構かつ荒唐無稽の話を平気で捏造するなど、被告人には、捜査・公判段階を通じて、証拠の採取あるいは証拠調べの結果判明した事実関係に対応して、見え透いた嘘の事実を並べ立てるといった傾向が顕著に見られる。

2 「ゼロヨン会」についての被告人の供述等

<1> 被告人の知人である証人佐藤健一は、「被告人から、二月二五日の夕方ころに、電話で息子は誰かに殺されたんだと聞かされた。更に、被告人は、三月上旬頃、息子はゼロヨン会の連中にやられたらしいとかいって詳しい話をしてくれた。そのとき、被告人は、残土置場からプラスチック片が出て来たことも話しており、もし俺が犯人ならそんな証拠なんか残して置かないとか言っていた。」旨供述している(第九回公判)。そして、同人が述べるそのとき被告人に聞かされたという話の内容は、概ね、「ゼロヨン会のメンバーだと言う者から匿名で被告人方に何回か電話がかかって来た。電話で、相手は、『ゼロヨン会の連中が次郎からオートバイを取り上げて乗り回しているうちに事故を起こしてオートバイが壊れた。そこでオートバイを運ぶために午後八時か八時半ころ次郎とゼロヨン会の連中がAの駐車場までトラックを取りに来た。そして、トラックを運転して引き返し、オートバイを積んだところで、修理費用を誰が負担するかでゼロヨン会の連中と次郎との間でトラブルが起き、ゼロヨン会の連中が次郎を押し倒して、尻で腹か胸をドシンドシンとやったら、次郎が気を失ったので、びっくりして遺棄現場に行って死体とバイクを捨てて来た。』と言っていた。匿名電話をかけてきた相手は、『トラックを取りに行くときに、被告人が自宅でビールを飲んで食事をしているのが表から見えた。』とも言っていた。駐車場には、翌朝仕事に出掛け易いようにトラックはバックで入れておくが、死体が発見された日には、キャンターが頭から入っていた。運転席の屋根の上にきれいに畳んで置いてあるシートも荷台に無造作に置かれていた。キャンターを何者かに動かされていた。自分は午後八時か八時半ころまで自宅で食事をしていた。」などというものである。

<2> そして、被告人も、その後の公判廷において、ゼロヨン会のメンバーと称する者から五、六回にわたって電話が掛かってきた旨述べるとともに、同人らから、佐藤健一証言に現れているような内容の話を聞いた旨述べている(第五一回公判)。

<3> しかし、警察の捜査結果によれば、埼玉県内にはゼロヨン会なる暴走族は実在せず、また次郎が生前に暴走族と関わりをもっているような様子もなかったことが判明している。

<4> そうして、被告人の右供述内容自体が極めて不自然なものであること、それまでの捜査の進捗状況及びそれにより判明していた諸事実と右供述の関係、本件オートバイの前記のような破損状況、キャンターの保管状況、更には、次郎の死体には右のような暴行を受けたような形跡は全く見当たらないことなどの各事実に照らすと、被告人の右ゼロヨン会についての供述はその全てが虚偽の作り話であり、かつ、被告人は、自己が本件死体遺棄事件(及び次郎に対する殺人ないし傷害致死事件)の被疑者として濃厚な嫌疑を掛けられつつあることを察知し、その嫌疑をそらすために、右のごとき荒唐無稽な虚偽の話を作出したものと断ぜざるを得ないのである(なお、被告人は、第五一回公判で、前記のように述べた上、「ゼロヨン会のメンバーと称する者からかかってきた電話はいたずら電話だと思っていた。」などと言い出しているが、これまた、佐藤健一証言が被告人に不利益に働くことから、その証拠価値を薄めようとしてなしている虚偽供述であることはいうまでもない。)。

3 被告人による証拠隠滅工作(メモの作成等)

被告人は、右のとおり自分が次郎を殺害したという濃厚な嫌疑を掛けられていることを察知し、同年七月下旬ころ、新聞の折込広告を切り抜くなどして、正体不明の者が次郎を殺害した旨の二通のメモを作成し、これを自宅内に所持していたものであり、右メモ作成の意図は、右の嫌疑を免れるとともに捜査を撹乱することにあったと認められる(被告人は、警察に別居中の妻を捜し出して貰うために右メモを作成したなどと弁解するが、右弁解は極めて不自然で、到底措信することができない。)。

六  本件犯行における動機の存在

被告人は、本件当時次郎と二人だけで暮らしており、次郎が被告人の管理占有する場所あるいはその付近で犯罪死を疑われる変死をすれば、その死に関わっているのではないかとの嫌疑を掛けられ易い立場にあった上に、次郎は交通事故死を偽装されて遺棄されていたのであるが、次郎には多額の生命保険等が掛けられており(交通事故による死亡時一〇〇〇万円(病死時四〇〇万円)の県民共済生協の生命共済(以下、これをも生命保険という。)、不慮の事故等による死亡時四〇〇〇万円(不慮の事故等以外による死亡時二〇〇〇万円)の第一生命の生命保険、交通事故死亡時五〇〇万円の富士火災の積立ファミリー交通傷害保険)、もし次郎が交通事故で死亡したと認定されれば、被告人は、次郎を死亡させたとの嫌疑を掛けられることを免れる上に五五〇〇万円もの多額の保険金を受け取れるという二重の利益を受ける立場にあった。そして、被告人は、前記のとおり、次郎の死体が発見される前から同人が交通事故で死亡することを予知するような発言をして、保険のことまで話題にしていた上に、死体の発見当日である二月二四日に保険代理店の社員である高橋弘に連絡を取り、弔問のため同日夜に被告人方を訪れた同人と右保険の内容等について話し合うなどしているのである。

七  情況事実からの推論とその結論

以上の認定事実を前提にして、本件遺棄犯人が被告人であるかどうかを検討する。

1 次郎の死体の発見状況等から判明した本件遺棄行為の状況や本人遺棄犯人の犯人像等を最初に要約しておくと、次のとおりである。

<1> 本件遺棄犯人は、本件遺棄現場とは別の場所で死亡した次郎を、同人が二月二三日自宅から乗り出し最後にその姿を目撃された同日正午前ころも乗っていた同人の愛車である本件オートバイとともに、二月二三日の夜から翌二四日明け方ころまでの間に、本件遺棄現場である農免道路と幸手町道の分岐点付近の残土捨場に、自損事故を偽装して遺棄した。右遺棄犯人は、右遺棄にあたって、次郎の死体にフルフェイスのヘルメットを被せる工作をし、本件オートバイを損壊する工作もしているが、本件オートバイのカウリング等の破損はその状況からしてパワーショベル等の作業機械を使わなければ生じ得ないものであることが鑑定により判明している。そして、本件オートバイはカウリング等がひどく破損しているが、遺棄現場からは、オートバイの破損部に対応する破損物はわずかしか発見押収されていない。次に、本件オートバイはその重量等からして遺棄現場まではトラックの類で運搬されたとしか考えられない。そして、損壊した本件オートバイが当初あった場所に近接した場所に次郎の死体も存在した一方、これらの場所と本件遺棄現場とがかなり離れていたとすれば、犯人は特段の理由がなければ本件オートバイを乗せたトラックの類に次郎の死体もまた乗せて同時に運んだものと見てよいと考えられる。

<2> 次郎は犯罪に巻き込まれて死亡した可能性が極めて高く、本件遺棄犯人が前述のとおり大変な手間をかけかつ検挙される危険を顧みずに敢えて交通事故を偽装しつつ死体遺棄という抵抗感の強い悪質な犯罪行為に及んでいることからすれば、右遺棄犯人こそが次郎を死亡させた者であるとの可能性が極めて高いと認められる。そして、右遺棄犯人が次郎と面識もないような者あるいは交際が多少ある程度の者である可能性は低いと考えられる。結局、本件遺棄行為は、次郎とある程度以上の交際があった可能性が高く、かつ次郎を故意又は過失により死に至らせた可能性が極めて高い者が、次郎を死に至らせた嫌疑を免れ、あるいは、それとともに更に保険金詐取等の別の利益、満足を得る目的で敢行した可能性が極めて高いということができる。

2 ところで、既述のとおり、本件オートバイは、その前輪泥よけ部分やカウリング等がひどく損壊されているのであるが、被告人が独占的排他的に管理している本件残土置場から発見された多数のプラスチック破片を鑑定した結果、これらの破片は本件オートバイの破面と一致することが判明しており、また本件オートバイがパワーショベル等の作業機械を使って損壊されたとしか考えられないことも前記のとおり鑑定で明らかになっていることからすると、右残土置場内にある唯一の作業機械であるパワーショベル(ユンボ)を用いて同所で損壊されたものと見てよいところ、被告人は、次郎の姿が最後に目撃された二三日正午前ころより後の時間帯において、作業のため一人で本件残土置場に立ち入り(被告人の述べるところによると作業開始時刻は午後一時半ころ)、午後六時ころまで同所に所在していたことが認められるのである。そして、右残土置場は塀に囲まれており、その出入口も被告人の述べるところによると右作業終了時には施錠したというのであり、しかもその鍵は被告人が保管していたため、被告人はともかく第三者が勝手に右残土置場に車で出入りしたり本件オートバイを持ち込んだりすることは、不可能とはいえないにしても極めて考え難く、現実にも第三者が立ち入ったような形跡はないのであり、更に、第三者が次郎を遺棄する準備として次郎の父親である被告人の管理する本件残土置場に夜間わざわざ侵入してオートバイを損壊したというのはありそうにもない想定であって、以上の点だけからでも、本件オートバイを損壊したのは被告人以外にはほとんど考えられないことになる。そして、このことと後記3で述べる点を考え併せれば、本件オートバイを本件残土置場でパワーショベルを用いて損壊した者は被告人であると何のためらいもなく名指しし得るのである。なお、被告人は、午後四時過ぎころと午後五時前ころ、本件残土置場と自宅との間で佇立あるいは歩行している姿を目撃されており、自宅へ往き来するなどしたことがあったやに思われる。そして、このように被告人が終始残土置場にいたのでなく、同所を一時離れたことがあるとすると、その際に施錠しなかったために、戻って来るまでの間に、残土置場に何者かが本件オートバイを持ち込みパワーショベルで破壊するというようなことがなかったのかどうかが一応問題となる。しかし、何者かが右行為に出たとすればその者は次郎の死体遺棄を企てていたことになるが、そのような犯罪をしようとする者がまだ人に見られる危険のある時間帯に、しかもいつも施錠されている出入口が施錠されておらず、したがって被告人が残土置場内のどこかにいるかもしれず、いないとしてもいつまた戻ってくるかもしれない危険な状況であるのに何故わざわざ残土置場に侵入しようとするのか解せない上、被告人は終始残土置場にいたとして残土置場外に出たことを否定しており、右のような事実のあったこと、あるいはその可能性があったことを一切述べていないのであるから、そのような事実はなかったものと認めてよい。

ところで、弁護人は、この点(及び後記5で触れる点)に関連して、本件オートバイの前後輪から採取した土砂は残土置場内五か所及びその付近農道二か所から採取した土砂、付近農道七か所を掘り下げて採取した土砂といずれも相違すると鑑定されており(星野正彦作成の昭和六一年五月九日付け鑑定書《甲456(弁60)》等)、本件オートバイのグリップ部分及び前照灯横に付着していた泥も前記残土置場内五か所及びその付近農道二か所から採取した土砂といずれも相違すると認定されると鑑定されている(星野正彦作成の昭和六一年八月一二日付け鑑定書《甲458(弁62)》)ことは、次郎が本件オートバイで本件残土置場に現れたことや被告人が同所でオートバイを損壊したことを否定する何よりの証拠であると反駁している。しかしながら、本件残土置場の土質は均一なのではなく、むしろ逆にあちこちから持ち込まれた種々雑多な土砂が入り交じっており、現に右残土置場内五か所から採取された土砂も性状が相互に相違している状態であること、また農道二か所から採取された土砂も互いに相違し、かつ残土置場内五か所から採取した土砂とも相違していること(なお、農道七か所を掘り下げて採取した土砂がどのような性状のものであったかは不明である。)、本件オートバイが農道上のどの場所を通り、本件残土置場内のどの場所を通り、どの場所で損壊されたのかは不詳であること、農道上及び残土置場内のどの場所がそこをオートバイが通ると車輪等に泥がべっとりと付着するような所であったのか不詳であることからすれば、本件オートバイに付着していた泥が前記残土置場内等の各個所から採取した土砂と相違しているからといって、前記判断(及び後記5の次郎が本件オートバイで本件残土置場に現われたとの判断)を揺るがすようなものではないといわなければならない。

3 また、Aの駐車場に置かれていた本件キャンターは、二月二二日に佐藤隆志が運転した後、同月二四日朝までに何者かがこれを運転しているが、そのキーの保管状況(二月二二日佐藤は右キーを日ごろの保管場所である事務所の壁に掛けておいたこと、二月二四日朝右キーは右壁に掛かっておらず、キャンターのドアポケットに入れてあったこと、被告人は右キーの所在場所を知っていたことなど)等からしても、これを運転したのは被告人以外には考えられず、また三月六日に実施された実況見分の結果、本件キャンターの荷台の上から塗膜様片やプラスチック破片が発見され、また荷台には塗膜様の物が付着したベニヤ板があったため、これらを鑑定したところ、右プラスチック破片は本件オートバイの破損部分の破面と一致し、また右ベニヤ板に付着した塗膜様の物は右オートバイのカウリングのステッカーと同種のものであることが判明したが、右佐藤が二月二二日に本件キャンターを駐車場に戻した際にはこれらの物は同車荷台になかったものであって、結局これらの物を同車に持ち込みあるいは遺留したのは被告人であると推認され、これらの事実及び前記2の事実を総合して考えると、被告人が本件残土置場で(パワーショベルを用いて損壊した)本件オートバイを本件キャンターに積み込み、これを本件残土捨場に運搬して遺棄したことは間違いないものと断定できる(しかも、他の者の加担は全く窺うことができない。)。

4 前記のとおり、次郎の死体は二月二四日早朝までに本件残土捨場に遺棄されていたが、被告人は、二月二三日午後六時過ぎころには、知人に対して、極めて具体的かつ露骨な表現で、次郎が夜間オートバイで農免道路を走行中に単独自損事故を起こし道路から転落して死亡する(あるいは既に死亡した)という趣旨の、その後の現実の遺棄状況(前記のとおり単独自損事故を偽装して農免道路と幸手町道の分岐点近くの残土捨場にオートバイとともに遺棄されていた。)をほとんど先取りするに等しいような話をし、更には翌二四日の早朝に電話を掛けてきた知人に対しては、「昨日は葬式があってね。」などとあらぬことを口走っているところ、これは、被告人が二月二三日午後六時ころには次郎が既に死亡していることを知っていたことを示すものと見るほかないのである。

5 そして、既に述べたように、本件オートバイのガソリン消費量等からして次郎は少なくとも午後二時ころまで生存していた可能性が高いところ、この間次郎は愛車である本件オートバイを乗り回す等自己の管理下に置いていた可能性が高いこと、この次郎の愛車である本件オートバイが次郎の消息が不明になって以降に一旦は本件残土置場に存在し、かつ、被告人はこれを死体遺棄の偽装工作のために本件残土置場のパワーショベルで損壊していること、右の本件オートバイを死体遺棄の偽装工作のために損壊したこと自体からして、被告人が第三者から連絡を受けて本件オートバイを引き取ってきたことや本件オートバイを届けにきた第三者からこれを引き取ったことは否定してよいこと、被告人は自ら認めるようにオートバイの運転技能がないから、本件オートバイが何かの事情で被告人方前に戻っていてそれを被告人が運転して本件残土置場に持ち込んだというようなことはあり得ないこと、また、被告人が何かの事情で被告人方前に戻って来ていた本件オートバイを手で押しあるいはトラックに乗せて本件残土置場に運んだというようなことも否定してよいこと(被告人が本件オートバイを自宅前から右のような方法で本件残土置場に運ぶことを考えたとすれば、その目的は、本件オートバイを死体遺棄の偽装工作のために損壊することにあったとしか考えられないが、そうでありながら、日中(午後六時ころ被告人方を訪れた岸に対する発言内容からして、右岸が被告人方を訪ねる相当前から被告人方前には本件オートバイは存在していなかったものと考えられる。)、近隣の知人らに出会うことがほぼ確実視される本件残土置場までの六〇〇メートル強の道のりを本件オートバイを押して行ったというのは想定として極めて不自然であるし、また、右のようなことを目的としながら、日中、トラックを自宅前に着け、硬い板等を用意して路上と荷台とをつなぐスロープを作り、スロープを使って荷台に本件オートバイを押し上げるという手間暇がかかり、かつ近隣の者に目につき易く記憶され易い行動を取ったというのも想定として甚だ不自然である。)、前記のとおり次郎の消息が不明になった以降の時間帯において、被告人は本件残土置場に作業に赴き(被告人の述べるところによると赴いた時刻は午後一時半ころ)、午後六時ころまで途中出たり入ったりはあるものの数時間にわたって同所に所在していたこと、午後六時ころには次郎は既に死亡しており、かつ、被告人はこのことを知っており、しかも次郎の死体を自損事故死に見せかけて遺棄することを既に企てていたことなどを考え併せると、午後二時ころ以降午後六時ころまでの時間帯に次郎が本件オートバイを自ら運転して本件残土置場に現れて同所にいた被告人と顔を合わせ、かつ、その後被告人が本件オートバイをパワーショベルで損壊した時点もしくは午後六時ころのいずれか早い時点までの間に既に次郎は急死していたものと十分推認することができる(なお、前に次郎は少なくとも午後二時ころまで生存していた可能性が高いと述べたが、右のとおり次郎は本件残土置場にオートバイで乗り付けたものであり、また、被告人はオートバイ運転の技能を有しないことなどを考え併せると、ガソリン消費量から計算される一〇〇キロメートル位という走行距離はすべて次郎生前のものと見てよいことになり、そうであるとすると、次郎は少なくとも午後二時ころまでは生存していたと認めてよいことになる。)。そしてまた、被告人自身の供述や知人の目撃状況等からすると、被告人は、当日午後残土置場に出掛けてから自宅で午後六時ころ岸と会うまでの間は残土置場あるいは(自宅を含む)その付近にいたものと認められるところ、被告人は次郎急死の事実を誰から聞かされることなく知っていたのであるから、次郎が急死したのは、右残土置場内又はその周辺あるいは付近の人目につかない場所(その具体的な場所としては被告人方が考えられる。)であると認めてよく、また、被告人が岸との話の際には既に死体遺棄を意図していたこと、遺棄の実行に及んだのが午後七時ころ以降であることに照らせば、被告人は次郎の死体をしばらく右残土置場等人目につかない場所に隠匿保管していたことも間違いないものと認められる。

更に、損壊した本件オートバイは、前述のように、本件残土置場からキャンターの荷台に乗せて運搬遺棄しているところ、本件残土置場から本件遺棄現場までは一二キロメートル強も離れていた一方、次郎の死体は本件残土置場内ないしその付近にあったのであり、しかも被告人に本件オートバイの遺棄と次郎の死体の遺棄とを別々に行うという二度にわたって我が身を発覚の危険に晒す冒険を行わなければならないような理由があったとは全く考えられないところであるから、被告人は、右キャンターに次郎の死体も乗せて本件オートバイとともに運搬して遺棄したものと認められる。

6 被告人は、右のとおり、次郎の消息が不明となって以降幸手警察署からの連絡により同署に出向くころまでは、同人が交通事故で死亡することを強調する発言をしていたが、警察が次郎の死因は他殺であると強く疑っており、自分が次郎の殺害遺棄犯人として嫌疑を掛けられつつあることを察知するや、これを事実上撤回して、次郎は誰かに殺されたなどと言い出し、その後残土置場や本件キャンターからプラスチック破片等の有力な物証が発見されると、これらが本件オートバイの破損部分と一致することを概ね認めつつ、「キャンターは当時バッテリーが上がっていたので二月五日ころから使っていない。」などとその場限りの嘘をつき、また公判廷でも「自分は捜索差押の少し前に残土置場内をきれいに掃除して、燃える物は皆燃やし尽くしてしまったから、プラスチック破片などが出てくるはずがない。それが出てきたということは、誰かがこれらを持ち込んだに違いない。」などと、(実際に右のような行為をしたかどうかは別として)自分が罪証隠滅行為に及んだことを自認するかのごとき発言をする一方で、警察官らがこれを持ち込んだといわんばかりのそれ自体到底信用し難い極めて不自然な弁解をなしているのである。更に、被告人は、これらの証拠物の発見等により益々深まってきた自分に対する容疑をかわそうとして、前記のとおり、「ゼロヨン会という暴走族の者が次郎に暴行を加えて死亡させ、その連中が次郎の死体とオートバイを運搬遺棄した(という話をゼロヨン会なる者から電話で聞いた)。」などという荒唐無稽かつ念の入った嘘の話を作り出してこれを知人に吹聴したり、新聞の折込広告を切り貼りするなどして真犯人は被告人以外の者である旨のメモを作成して自宅に置いたりし、また、ゼロヨン会なる暴走族が存在していないことが捜査によって明らかになり、公判で、ゼロヨン会の話を被告人から聞いた知人が被告人から聞いた内容を証言する、右証言の強烈な印象を薄めようと、ゼロヨン会のメンバーと称する者からの電話はいたずら電話であると思っていたなどと見え透いた嘘を述べたりしているのである。このように、被告人は、嫌疑を免れるためになりふり構わず虚偽の弁解をし、罪証隠滅行為に及び、また捜査の進展状況や判明した証拠に合わせて供述を変遷させるなどしているのであって、この被告人の不誠実極まる態度はまさにその有罪意識の反映というほかないのである。

7 被告人は、次郎が(他殺ではなく)交通事故で死亡したと認定されれば、いずれは間違いなく自分に掛けられるであろう殺人等の嫌疑を免れる上に、次郎に掛けられていた数千万円もの保険金を取得できることとなるのであって、その意味で、被告人には本件を敢行する極めて強い動機があり、現に被告人は、次郎の死体が発見されるや、その日のうちに保険代理店の者に連絡を取り、弔問のために被告人方を訪れた同人と次郎に掛けられていた保険についての話をするなどの行動に及んでいるのである。

8 以上によれば、被告人が判示したとおりの本件死体遺棄の犯行に及んだことは、何ら疑いの余地なくこれを認めることができる。

第三  本件傷害致死事件について

一  被告人と本件傷害致死事件との結び付きについて

1 前記のとおり、被告人は、次郎の判示の暴行を加えて死亡させたことを全面的に否認するとともに、その前提として、次郎が二月二三日午前一一時ころ本件オートバイを運転して被告人方を出て行った後に、同人と再び顔を合わせたこと自体を否認しており、弁護人は、被告人の右弁解を前提とした上で、本件においては、そもそも次郎が他人に暴行を受けて死亡したということ自体が何ら証明されておらず、同人が病気等の非犯罪的原因で死亡した可能性を否定できないのであるから、被告人がその犯人であるか否かを論ずるまでもなく、本件傷害致死の犯行が成立する余地はないと主張する。

2 しかしながら、次郎が本件オートバイに乗って二月二三日午後二時ころ以降本件残土置場に現れて同所に一人でいた被告人と顔を合わせたことは既に述べたとおり明らかであって、これを否定する被告人の供述は全くの虚構である。

そして、次郎は遅くも午後六時ころまでの間に残土置場内又はその周辺あるいは付近の人目につかない場所(その具体的な場所としては被告人方)で急死したのであり、被告人は右午後六時ころの時点で既にそのことを知っており、その上、既に次郎の死体を自損事故に見せ掛けて遺棄することを企てていたことも既述のとおりである。

しかも、被告人が右のように次郎急死後まだ間がない時間内に既に死体遺棄まで企てていること、また、被告人は死体遺棄罪の法定刑が傷害致死罪や詐欺罪のそれに比べ著しく低いことをよく知っているのであるから(このことはその公判供述等から疑問の余地がない。)、次郎が死に至る場面に自分が居合わせず、その後に次郎の死を知り死体遺棄に及んだのが事実であれば、法廷で、そのように弁解して重大犯罪である傷害致死の嫌疑を晴そうとしてもよさそうなのに、一切そのような弁解はしていないこと、被告人が実際に自分が行った行為をなぞるなどしながら作り上げて佐藤健一に聞かせたゼロヨン会の話でも死体遺棄の犯人は次郎が死に至る現場に居合わせたことになっていること、被告人と次郎は当時二人暮らしであり、当日は日曜日で従業員も出勤しておらず、また午後二時ころから岸が訪ねてきた午後六時ころまでの間は自宅に客等は現在していなかったこと、本件残土置場で作業していたのは被告人一人であること、被告人は、交通事故に見せ掛けて死体遺棄をしようと考えたのであるから、次郎の急死あるいはその死体を他人に見られていないことを知悉していたこと、一方、被告人自身は次郎の死亡事実を誰にも聞かされることなく知っていたことなどを考え併せれば、被告人は次郎の死の場面に居合わせたと認めてよいとともに、仮に次郎が犯罪により死亡したのであれば(犯罪といっても、パワーショベルのバケットが何かのはずみでぶつかった等、次郎が過失行為により死に至った可能性は証拠上全く窺えないから(なお、法医鑑定は次郎が絞頚によって死んだか自然死(内因死)したかをめぐって意見が対立しているもので、各鑑定とも次郎が過失行為により死に至った可能性を一切指摘していない。)、過失犯は問題にならない。)、それは被告人が行ったものであると認められるのである。

3 ところで、前に死体の発見状況等について触れた際に、右の死体発見状況等だけからでも、次郎は犯罪により死亡した可能性が極めて高く、かつ死体遺棄犯人が次郎を死に致した可能性も極めて高いといえると述べたが、その後ここまでの検討で次郎の父親である被告人が次郎の死体を遺棄したことをはじめとして、多くの事実が明らかになったので、これらの事実を踏まえて、以下に本件遺棄犯人である被告人が果たして次郎を死に至らせたのかどうかにつき掘り下げて検討してみる。

<1> 次郎は、二三日午前一一時ころ以降オートバイを元気に乗り回していたものであるが、午後二時ころ以降に本件残土置場に乗り付け被告人と顔を合わせた後午後六時ころまでの間の数時間内に急死した。このことだけでも、次郎が病死ないし自然死(内因死)したものでないこと、裏を返せば、次郎が犯罪的原因により死亡したことを常識的に推測させる(なお、次郎が自殺したものでないことは、被告人がそのような事実のあったことを一切述べていないこと、次郎に自殺の理由が見当たらず、そのような素振りも認められていないことなどからして、全く疑う余地がない。ちなみに、各法医鑑定とも、次郎の死体に自殺の可能性を積極的に示唆するような徴候があったことを一切指摘していない。)。しかも、仮に次郎が何らかの急病で突然倒れたとすれば、父親である被告人としては、何はともあれ救急車を呼ぶなり、病院等に運び込むなど(本件残土置場から一番近い距離にある建物は大橋医院であり、そこまでの距離は約一〇〇メートルである。同医院は被告人方からも五〇〇メートル強の距離にある。被告人方からは同医院よりも近い位置に別の医院もあった。)の措置を取るのが当然の成り行きであると考えられるが(三か月前に次郎が自損事故で怪我をした時は、息子思いの父親ぶりを発揮している。)、被告人は、このような措置を何ら取っていないのである。それどころか、こともあろうに死亡した次郎を自損事故に見せ掛けて遺棄することをすぐに企て、次郎の形見でありまた相当経済的価値もあるその愛車をパワーショベルで損壊したり、同人の死体を目に付かないところに保管した上、損壊したオートバイとともに、キャンターに積んで遠方に運び、冬の寒空の中、道路脇の残土捨場に遺棄するという冷酷非情な行動に、しかも検挙される危険も顧みずに及んでいるのである。

もともと死体遺棄は、それを行うのに通常強い抵抗感を伴う犯罪であるが、実の息子を遺棄するのであれば、大変な心理的抵抗を感じたはずである。にもかかわらず、被告人は遮二無二に右のような行動に突き進んでいるのである。しかして、被告人をしてこれに向かわしめた理由は何であろうか。結局、その理由は、被告人が次郎死亡の原因を作ったことにあると考えられるのである。

仮に被告人が次郎の死の原因を作っておらず、次郎が病死ないし自然死(内因死)したに過ぎないとすれば、一体なぜこのような行動に及ぶ必要があったのであろうか。死体の遺棄状況、被告人と次郎との親子関係の状況からして、次郎に対する怨恨から死体遺棄に及んだことは明確に否定できる。それならば次郎の病死を奇貨として経済的利益(本件においては、次郎にかけた保険金を取得すること以外に考えられない。)を得ようとの欲求から死体遺棄に及んだのであろうか。しかし、それだと一種の反射的行動ともいえる救急車を呼ぶ等の行動に被告人が出ていないことからして、急病で倒れた息子を見て即座に交通事故死を偽装した保険金詐取を思い立ったということになるが、オートバイを乗り回すなど頗る元気であった次郎が急病で急死するなどということは被告人としては全く予想していなかったであろうのに、次郎の重篤な急病を見て即座に交通事故死を偽装した保険金詐取まで思い立ったというのは想定として相当不自然といわなければならない。のみならず、被告人は、交通事故死を偽装せず、息子が急病で倒れて死んだことを正直に申告しても、県民共済生協から四〇〇万円、第一生命から二〇〇〇万円、合計二四〇〇万円という既に十分多額な生命保険金を取得できたのである(被告人は、右の正確な金額まで認識していなかったとしても、少なくとも、次郎が自然死した場合でも十分多額の生命保険金が下りることは認識していたと推認してよい。)。ところが、仮に救急車等も呼ばずに交通事故死を偽装して次郎を遺棄すれば、これが発覚したときには、この当然受けられたはずの保険金の支払いを受けられなくなる危険が大であるのはもちろん、自らは犯罪者として逮捕され、勾留され、処罰されることになるのである。保険金を取得したいのに、このような多額の保険金をみすみす失い、その上獄に繋がれるはめになるような愚かな行動に果たして出るか大いに疑問であるといわなければならない。前記のごとき行動から明瞭に看取できる極めて強大な死体遺棄への被告人の内的衝動は、次郎が病死ないし自然死したことを前提にして保険金詐取を図ったと考えることでは、決して得心できる説明はできないのである。

<2> 被告人は、一〇年余に及ぶ本件審理の過程において、多数回にわたって弁解の機会を与えられ、事細かに種々の弁解をしつつも、また、前記のように傷害致死罪や詐欺罪に比較し死体遺棄罪の法定刑が著しく低いことをよく知りながらも、自分は何もしていないのに次郎が自分の面前で突然倒れて死亡したなどという弁解は一度たりともしたことがないのである。

また、被告人は、佐藤健一に対してなしたゼロヨン会の作り話の中でも、折込広告の切り貼りメモに書いた作り話の中でも、遺棄犯人が次郎死亡の原因を与えたとしているが、そのこと自体は極めて自然かつ合理的である上、右ゼロヨン会の作り話は遺棄犯人である被告人が現実に行った行為をかなりなぞりながら作り上げたことが明らかであることなどに照らすと、右各作り話中の右に記した点は、本件遺棄犯人である被告人自らの体験が語られているものと十分見得るのである。

<3> 既に述べたとおり、被告人は、短気な性格で喜怒哀楽が激しく、以前から妻に暴力を振るっており、本件の少し前には、妻に灯油をかけて家ごと燃やしてやるなどと暴言を吐いたりしたため妻と娘に家出されている。また、被告人は、かねて次郎に対して、高校卒業後、家業を手伝ってほしい旨言っていたが、次郎はこれに余り乗り気ではなく、父親である被告人に対して反抗的な態度を取ったりすることもあったため、親子の仲はあまり良いものではなく、次郎も友人に被告人と親子喧嘩をしたとの話をしたこともあったのである。そして、被告人は、花子らの家出後である昭和六一年二月中旬ころ、次郎と喧嘩をして、次郎の首をいわゆる襟締めにするという危険な行為をしたこともあったのである。

右に照らせば、被告人が暴行等の故意行為により次郎を死に至らしめることがあっても、特に不思議ではないといわなければならない。

<4> 以上を考え併せれば、次郎は病死、自然死(内因死)ではあり得ず、被告人が暴行等の故意行為(それがどのようなものであったかしばらくおく。)によって次郎を死に至らしめたこと(その死因や死に至る機序がどのようなものであったかもしばらくおく。)は全く明瞭であって、疑問の余地はないといわなければならない(なお、右犯行が偶発的なものであったと見られることについては、第二・二・6参照)。

二  法医鑑定の評価と次郎の死因等について

1 右の被告人が暴行等の故意行為により次郎を死に至らしめたとの結論は、死体遺棄の論述を含め、右結論に至る全論述を見ても分かるように、これを導くのに、法医鑑定で見解の対立している部分を証拠として用いることは一切していない。しかも、右部分以外の部分も事実認定においては一部で補足的に使っただけであり、これなくしても当該事実が認定できないわけではないのである。このように、本件の法医鑑定殊にその見解対立部分を除いても(なお、ここで、本件において実施された各法医鑑定の鑑定意見の概略と法医鑑定が重ねられた経緯の概略を述べておくと、次郎の死体が発見された当日(昭和六一年二月二四日)の午後零時ころから幸手警察署内で医師柴田敏幸を立会人として死体の実況見分が行われた後、同日午後三時四〇分ころから午後五時三〇分ころまでの間、所沢市内の防衛医科大学校において、同校法医学教授である井出一三の執刀で死体解剖が行われたが、同教授は、右の結果を踏まえて、次郎は強い頚部圧迫により急激な脳循環障害が生じ、嘔吐作用の発来による吐物吸引により窒息死した旨鑑定した(以下、同人作成の鑑定書及び同人の公判供述を併せて「井出鑑定」という。他の鑑定人についても同様の形で略称する。)。しかし、その後弁護人の申請により、次郎の死因について再鑑定が実施されることになり、藤田学園保健衛生大学医学部教授である内藤道興鑑定人が鑑定した結果(以下これを「第一次内藤鑑定」という。)、病名は確定できないが、内因性の急死であるとの結論が出された。そこで、今度は検察官の申請により、帝京大学法医学教授三木敏行鑑定人及び筑波大学法医学教授三澤章吾鑑定人による共同鑑定が実施され(以下これを「三木・三澤鑑定」という。)、両鑑定人は、防衛医科大学校に保管されていた次郎のホルマリン固定保存臓器及び顕微鏡組織標本をも鑑定資料に加えて次郎の死因について検討したが、その結論は、「次郎は、前頚部から左右側頚部にかけて布片の類で強く圧迫されて窒息状態に陥り、そのため意識が消失し、嘔吐が起こり、意識がなかったため、吐物を気管から肺へ吸引し、窒息して死亡した可能性が大きいと考えられる。肺に吸引された胃内容が多かったときは死亡の直接の原因となった窒息は吐物の吸引と考えられる。肺に吸引された胃内容が多量でなかった場合の死亡の直接の原因となった窒息は、吸引量が少なかったときは頚部圧迫、吸引量が少なかったときは頚部圧迫と吐物吸引の両者と推定される。」というもので、井出鑑定と基本的にはほぼ同趣旨のものとなっている。そして更に、弁護人申請により、内藤鑑定人が再度鑑定した結果(以下これを「第二次内藤鑑定」という。)、次郎の心臓左心室の大動脈弁に生前欠損(開窓部)が認められるので、次郎の死因は、右欠損に基づく急性心臓停止であるとの結論が出されたため、この新たな争点を巡って、検察官の申請により、元大阪医科大学法医学教授溝井泰彦による鑑定が実施されたが(以下これを「溝井鑑定」という。)、その結論は、次郎の大動脈弁には右内藤鑑定が指摘するような生前欠損(開窓部)はなかったか、仮に欠損があったとしても比較的小さな欠損であり、次郎の生前の生活状態等に照らしても、それが死因となったとは考え難いというものであった。)、その余の証拠(なお、本補足説明の冒頭に述べたとおり、証拠採用はしたがなお弁護人が任意性を争っている被告人の供述調書及び上申書が含まれていないことはいうまでもない。)によって、既に被告人が故意行為によって次郎を死に至らしめたことを断定できるのであるから、右に照らし、次郎の死因を自然死(内因死)とする内藤鑑定(第一次、第二次)が誤りであり、(その鑑定の手法や推論の過程等を更に審査確認する必要があることはいうまでもないが)次郎の死因が外因死であるとする井出鑑定、三木・三澤鑑定、これを支持補足する溝井鑑定が基本的に信用できることは明らかである。

2 ところで、内藤鑑定(第一次、第二次)が信用できないものであることは、その論述内容そのもの等を見ても明らかである。

すなわち、第一次内藤鑑定は、井出鑑定のとる外因死(急性窒息死)の結論を否定しているのであるが、実際に次郎の遺体を解剖し見分している井出鑑定の指摘している、喉頭、咽頭周囲に食物残渣が存在し、気管支末端に胃内容が存在したこと、咽喉頭の鬱血及び軽度の出血、甲状腺周囲淋巴節の著しい鬱血が認められたこと等、吐物吸引あるいは頚部圧迫の推定根拠となる重要な所見を十分な吟味を加えることなく否定し、あるいは無視ないし軽視している上、自然死(内因死)、特に心不全の蓋然性を指摘する部分も、要するに、外因死が否定される以上自然死である、自然死であるとすれば心不全が最も疑われるとしているに過ぎないのであって、総体として根拠が不十分なまま推論を進めている感を否めないのであり(特に、同鑑定人は、人の生命にかかわる重大事件については相応の動機や理由があってしかるべきであるのに、被告人に実の息子である次郎を死亡させるような暴行を加える動機があったかどうか疑問があるなどと、被告人の犯行動機の有無が次郎の死因についての法医鑑定に重要な関連性を有しているかのような意見をも述べているが、(右の疑問が理由のないものであることはさておき)鑑定人としては、まずもって、次郎の死体自体とそれが発見された状況等の客観的事実に基づいてその死因等を判断することに努力を傾けるべきことは当然であり、内藤鑑定人の右意見は鑑定人としてあるべき姿勢からいささか外れているといわなければならない。)、その上、右第一次内藤鑑定後に実施された三木・三澤鑑定において、井出鑑定の指摘するいくつかの重要な所見が再確認されているばかりでなく、新たに保存臓器の検査により甲状腺右上角付近の軟部組織内に米粒大の出血があることや、気管粘膜が剥離し粘膜下に鬱血、出血が見られ、気管支粘膜もほとんどが剥離して気管支内腔の粘液中に混在し、胃内容の強い酸が作用したのではないかと思わせる所見が新たに確認され、また顕微鏡標本の検査によって肺胞内に胃内容が吸入されたことを思わせる異物、放射菌塊等が存在することが発見されるに至っているのであって、以上を考慮し、更に次郎の心機能の異常の有無等に関する三木・三澤鑑定の委曲を尽くした論述(これに加えて、第一次内藤鑑定を補充する第二次内藤鑑定が溝井鑑定により完全に破綻していること)等も併せると、第一次内藤鑑定が次郎の生前に頚部に外力が加わっていること及び吐物の呼吸器への吸引を否定している点はもとより心不全を示唆している点も信用性に欠け、同鑑定の自然死という結論そのものも信用できないといわざるを得ないのである。また、第二次内藤鑑定は、次郎のホルマリン固定臓器等を鑑定資料に加えて、改めて、次郎の死因を検討し、前記のとおり「次郎の心臓左心室の大動脈弁に生前欠損(開窓部)が認められるので、次郎の死因は、右欠損に基づく急性心臓停止である」ことが判明したとし、第一次内藤鑑定の結論は変更の要をみないとするものであるが、この判断が誤りであったことは、前記溝井鑑定(同鑑定は、次郎のホルマリン固定臓器の肉眼的検査のみならず同臓器から切り出した左心室大動脈弁について新たに顕微鏡的組織検査も行い、渉猟した有窓大動脈弁に関する死亡例等の報告その他の文献を参考にして、考察を加え、前記鑑定意見を導いているものであって、同鑑定の手法が右のとおり問題部位そのものに対する顕微鏡的組織検査を行うなど厳密かつ合理的なものであること、同鑑定人の検査の実施過程に適切を欠いた点は特に見当たらず、考察の経過も合理的で説得的であることなどに照らし、高い信用性を付与し得る。)から明らかである。

以上に見たとおりであるから、内藤鑑定(第一次、第二次)は到底採用するに由ないのである。

3 井出鑑定、三木・三澤鑑定について見てみると、両者は結論をほぼ同じくしており、井出鑑定は、その示した重要な所見を三木・三澤鑑定において再確認されているばかりでなく、三木・三澤鑑定が新たに確認したいくつかの所見によっても、また溝井鑑定によっても、補強されているのであり、他方、三木・三澤鑑定も、新たに保存臓器や顕微鏡標本をも十分精査し、前の井出鑑定、第一次内藤鑑定の指摘や推論の過程を極めて慎重に吟味してあらゆる可能性を念頭においた厳密な考察を加えて結論を導き出しており、しかも不明の点、断定できない点は素直にこれを認め、また共同鑑定人間で心証、意見を異にしている点もそのまま記述し、牽強付会の感を全く与えないものであって、いずれも信用性が高いことを十分確認できるのである。

4 以上により、井出鑑定及び三木・三澤鑑定の信用性が肯認できることが明らかになったので、続いて、これらの鑑定により、本件犯行の態様や次郎が死に至った機序等について検討することとする。

被告人が次郎の頚部を強い力で圧迫し次郎を窒息状態にしたこと、そのため次郎が意識消失等の意識障害ないし脳循環障害に陥ったこと、その際次郎が嘔吐し、右のとおり意識障害ないし脳循環障害の状態にあったため、その吐物を吸引したこと、次郎が窒息死したことは右井出鑑定及び三木・三澤鑑定が共通して指摘するところであって、これを認めるに十分である。

ところで、次郎は右のとおり頚部を圧迫されて窒息を来し意識消失等の意識障害ないし脳循環障害に陥った際に嘔吐したのであるが、次郎に嘔吐作用が起こった理由について、井出鑑定は、「急激な脳循環障害の結果嘔吐作用が発来した。」としている。しかし、三木・三澤鑑定によると、窒息の一般症状として嘔吐が起こることはあるが、窒息下で嘔吐が起こっても、その原因としては横隔膜の痙攣等も考えられるから、次郎の嘔吐が意識障害ないし脳循環障害のために起こったとまでは断じ難いというのであって、その指摘するところは十分首肯できるから、井出鑑定の右部分は窒息から嘔吐に至った機序としてあり得た一つの例として理解すべきである。

また、次郎が窒息死したことは右のとおりであるが、その直接の原因が何であるかについて、両鑑定の間に若干の差異がある。すなわち、井出鑑定は、「次郎は、吐物吸引により窒息死した。」とするのに対し、三木・三澤鑑定は、吐物吸引という現象が生じたこと自体は間違いないとしているものの、吸引量が不明であるため吐物吸引が窒息死の直接原因であると断定できないとして、「肺に吸引された胃内容の量が多かったときは死亡の直接の原因となった窒息は吐物の吸引と考えられる。肺に吸引された胃内容が多量でなかった場合の死亡の直接の原因となった窒息は、吸引量が少なかった場合は頚部圧迫、少なくなかったときは頚部圧迫と吐物吸引の両者と推測される。」としている。そこで、井出証人の証人尋問の結果(同証人を尋問した結果、死体解剖の際肺を取り出す時に気管支を切断したら内容がこぼれ落ちたこと、そのこぼれ落ちた量は計れなかったことなどが判明した。)等も加えて検討すると、同人が経験豊かな法医学者であり、かつ直接次郎の死体解剖を担当していたことを考慮しても、井出鑑定を採用して吐物吸引が窒息死の直接原因であると断定することには躊躇を覚えるといわざるを得ない。そうすると、結局、三木・三澤鑑定に従って、同鑑定が述べるような幅をもたせた形で窒息死の直接原因を認定するのが相当である。

次に、被告人が次郎の頚部を強い力で圧迫して次郎を窒息状態にしたことは既述のとおりであるが、その具体的態様として、井出鑑定は、「犯人は、次郎がうつぶせの状態にあるときに、その背面から次郎の着衣の襟部分を後上方に強く懸引したと考えられる。」とし、その根拠として、「特に右側頚部に見られる縞模様は着衣の表面の性質を示したものと考えられ、更にこの圧迫痕は比較的巾広く弓状を示す湾曲を示しているので、着衣の襟部分を後上方に強く懸引することによって惹起された可能性が思考される。同時に胸部に見られる円形の皮膚変色部は着衣のボタンによる圧痕と判断され、胸腹部に散見される皮膚変色部の一部は着衣のしわによる圧迫により惹起された辺縁性の出血とも考えられ、また左右上前腸骨棘部の乾燥部も圧迫による革皮化と考えられる。」ことなどを挙げている。これに対して、三木・三澤鑑定は、「井出鑑定が本件犯行の具体的態様の根拠として挙げている(右の)諸事実はどれひとつとしてうつぶせの状態で背面より着衣の襟部分を後上方に強く懸引されたことを積極的に示しているものはないと思われる。全体的に考察すると、本件犯行がそのような方法で行われた可能性はかなりあるものの、しかし、「そのような方法で惹起された。」とまで言い切れるかは相当疑問がある。」とした上、「頚部に作用した外力は、外表には痕跡が全く残らないかあるいは極めて僅かしか残らぬような状態で作用し、その強さは弱いものではなかったと判断される。具体的には、巾が狭くなく表面のあまり粗でない布状の類の索状物が、瞬間的ではなく、短期間ではあるが継続的に前頚部から左右側頚部を圧迫した可能性が大きい。」として、その成傷器具が着衣の襟に限らず布状の類であった可能性があることを指摘するとともにこれによる攻撃の態様についても、(可能性の問題として色々な形態を想起するのはともかくとして)右以上に具体的に特定することは困難であるとしている、そこで、検討するに、被告人が本件の少し前の二月中旬ころ次郎と喧嘩をして次郎の首をいわゆる襟締めにした事実があることは前述のとおりであるが、この事実があることを加えて考慮しても、井出鑑定のいうような態様で被告人の攻撃がなされたと断定することはなおためらわれる一方、三木・三澤鑑定の右見解は、井出鑑定及び内藤鑑定を多角的な面からつぶさに検討し、慎重かつ謙抑的に結論を導き出しているのであって、その内容に照らして十分な説得力を有することは明らかであるから、結局、本件犯行の具体的態様の細部はつまびらかにできないものの、被告人は少なくとも三木・三澤鑑定の指摘するような方法で本件を敢行したものと認定することができるのである(なお、いうまでもないが、三木・三澤鑑定の指摘する右暴行の態様は、右暴行が複数名によって行われたことを示唆するものではない。)。

三  結論

以上のとおりであるから、被告人が次郎に対して判示のとおりの暴行を加えて死亡させたことは明らかである。

【量刑の理由】

一  本件は、家屋の解体等の仕事を営んでいた被告人が、自動車保険の制度を悪用し、三回にわたって、自動車事故の内容を偽ったり自動車の盗難被害を捏造するなどして保険会社から保険金を騙し取り(判示第一ないし第三の犯行)、また実の息子の頚部を強く圧迫する暴行を加えて同人を死亡させ(判示第四の犯行)、更にその発覚を免れるために、同人が自損事故を起こして死亡したかのような偽装工作を施しつつ、その死体を道路脇の残土捨場まで運搬して遺棄した(判示第五の犯行)という事案である。

二  そして、本件のなかで最も重大悪質な事犯である判示第四の傷害致死の犯行は、被告人がこれを全面的に否認しているため、その経緯、動機は不詳であり、またその具体的犯行態様等も定かでない点があるものの、判示残土置場で仕事をしていた被告人とオートバイを運転して同所に現れた被害者次郎との間で何らかの理由により親子喧嘩が発生し、激した被告人が、次郎に対して判示のような暴行を加え、その結果同人を窒息死させたものと認められるところ、その犯行態様は、頚部という人体の枢要部を次郎の着衣の襟を含む布状の類の物で強く圧迫するという極めて危険なものであり、その結果次郎を窒息死させるという極めて重大な結果を生じさせているのであって、親子喧嘩程度のことから実の父親である被告人の手に掛かって非業の死を遂げるに至った次郎の無念さは察するに余りあるものがある。しかるに、被告人は、このような重大な犯行に及んだ後も、救急車を呼ぶ等の行動に出るどころか、我身の保身のため、あろうことかオートバイをパワーショベルで損壊する等の手の込んだ工作をした上実の息子の遺体をオートバイとともに遠方に運搬し、同人が自損事故により死亡したかのように偽装しつつ残土捨場に遺棄するという判示第五の犯行を敢行しているのであって、そこには次郎の死に対する哀悼の念など一片も窺われず、それどころか、自らの嫌疑を免れるとともに、その死を奇貨として同人に掛けられていた多額の保険金を取得しようという悪辣な意図が見え隠れしているのであって、まさに鬼畜のごとき所業というほかはない。そして、被告人は、犯行後も、その刑事責任を免れようとして、様々な工作をしたり、次々と嘘で塗り固めた不合理な弁解を続けつつ今日に至っており、自己の行為に対する反省の念は全く見られないのであって、これらの事情に照らすと、その犯情は誠に悪質である。

また、判示第一ないし第三の詐欺の犯行は、自動車保険を悪用して敢行されたいわゆる保険金詐欺事犯であって、もとよりその動機において酌量の余地はなく、いずれも計画性の高い犯行であり、被害金額も合計約六二六万円もの多額に上っており、また今日まで何らの被害弁償もなされていないのであって、これまた犯情悪質である。

更に、被告人は、昭和三五年から昭和四七年にかけて既に窃盗罪により三回も執行猶予付きの懲役刑に処せられたことがある上、今回またも、判示第一ないし第三の詐欺の犯行に次々及び、更にこれに止まらず、判示第四、第五の傷害致死、死体遺棄の犯行をも敢行するに至ったもので、被告人の規範意識の欠如ぶりは甚だしいというほかない。

三  以上の事実に照らすと、被告人の負うべき刑事責任は誠に重大であるといわなければならないが、他方において、被告人が本件各詐欺事件についてはこれを全面的に認めてそれなりの反省の気持ちを表していること、本件傷害致死事件については計画的な犯行ではなくその場の激情にかられた犯行であると推測されること、また被告人が虚言を弄し続けたことがその大きな原因になっているとはいえ、既に公訴提起以来約一一年間という長期間に亙って身柄を拘束されてきたことなど、被告人のために酌むべき事情も存在する。

四  そこで、これら一切の事情を総合勘案した結果、被告人に対しては主文の刑を科した上、未決勾留日数をその刑期に満つるまで算入するのが相当であると判断した。

(裁判長裁判官 須田賢 裁判官 吉村正 裁判官 関根規夫)

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